大判例

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東京地方裁判所 昭和57年(行ウ)25号 判決

原告

大谷哲平

右訴訟代理人弁護士

大隅乙郎

被告

東京法務局大森出張所登記官

坪井博邦

右指定代理人

芝田俊文

岩井明広

土屋惟明

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

(主位的請求)

1 被告が、別紙物件目録記載の土地につき東京法務局大森出張所昭和四六年三月一日受付第七九九九号土地表示抹消登記申請に対し、同年一〇月一〇日付けでした表示登記抹消処分(以下「本件登記処分」という。)を取り消す。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

(予備的請求)

1 被告がした本件処分が無効であることを確認する。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  本案前の答弁

(一) 本件訴えを却下する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

2  本案の答弁

(主位的請求に対し)

(一) 原告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

(予備的請求に対し)

(一) 原告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

(主位的請求)

1 原告の地位等

別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)は、亡大谷米太郎(以下「米太郎」という。)を所有者とする同目録記載のとおり表示の登記がなされていた。原告は右米太郎の相続人の一人である。

2 本件登記処分

被告は、東京法務局大森出張所昭和四六年三月一日受付第七九九九号をもって、米太郎の相続人大谷サト、同大谷孝吉及び同大谷米一が共同でした本件土地の表示抹消登記申請に対し、同月一〇日、登記原因を「不存在」とする本件土地の表示登記抹消の登記(以下「本件登記処分」という。)をした。

3 不服審査手続

原告は、昭和五六年七月一五日、東京法務局長に対し本件登記処分の審査請求をしたが、同局長は同年一一月六日付けで審査請求棄却の裁決をし、これは同月一〇日原告に送達された。

4 不服の範囲

本件登記処分は、登記義務者たる登記簿上の所有名義人米太郎の相続人全員の登記申請に基づいてなされるべきところを、その相続人の一部のみによる申請に基づいてなされた点に違法があり、また、本件土地は大田区羽田旭町一〇番一一内に存在するのに、これを不存在と認定した点に過誤がある。

(予備的請求)

1 原告の地位及び本件登記処分

主位的請求原因1、2に同じ。

2 無効事由(本件土地の存在)

(一) 本件土地の元の所在及び地番は大田区羽田一丁目一九一四番一であり、その後同区羽田五丁目一九一四番一となり、さらに別紙物件目録記載の地番となったものである。

(二) 本件土地は、同じ地番で枝番のみ異なる羽田一丁目一九一四番二(拓殖咲五郎所有名義)及び同番三(内務省所有名義)の土地が存在していることから、以前存在していたことは明らかである。

(三) 米太郎は昭和一一年ころ、坂口平兵衛外一名からその各所有にかかる次の各土地を買受けた。

羽田糀谷四丁目一九〇六番 原野 四反歩

同  一九〇七番 同 六反歩

同  一九〇八番 同 三反歩

羽田一丁目一九一四番一 同 八反二畝一六歩(本件土地)

合計 六三七六坪

右の各土地には縄延びがあり、その実測合計面積は一万一八六九坪九四であった。

(四) 本件書証中には本件土地が昭和六年ころ海没したかのような記載のあるものが存在するが、昭和五年ないし昭和七年には東京湾に津波をもたらすような地震は発生していない。大正一二年一〇月一〇日発行、昭和七年一二月二〇日発行の大日本帝国陸地測量部作成の各地図によれば、いずれも本件土地一帯は荒地として表示されており、前記(三)の売買の対象にも含まれているのである。したがって、本件土地が昭和六年当時海没した事実はないというべきである。

(五) 米太郎は昭和一一年一〇月七日、東京府知事に対し蒲田区羽田一丁目一三五一番地先に存在した堤外民有地及び堤塘敷斜面埋立願を提出し、昭和一二年五月一七日に、右埋立工事につき東京府知事の許可を受けた。当時、右の堤外民有地の周囲の状況は、同地に接続する官有堤塘敷斜面があり、東方は海老取川、北方は南前堀に面し、西及び南側は堤塘により区切られ、満潮時にはほとんど海面と等しく、干潮時に地盤が三〇センチメートルから一五〇センチメートル程度露出する状態であり、実測面積は民有地が一万一三八四坪五五、官有堤塘敷が三二二坪二二二であった。右の埋立申請にかかる堤外民有地は当時糀谷四丁目、羽田一丁目及び羽田三丁目にまたがった地域であり、前記(三)の買受けにかかる土地である。

(六) 米太郎は昭和一二年埋立工事を完成させたが、その実測面積は一万二三三五坪八四である。昭和四二年八月九日、右土地が原因不詳まま大田区羽田旭町一〇番一一宅地3万7634.87平方メートル(以下「本件第二土地」という。)として大谷重工業株式会社(以下「大谷重工」という。)の所有名義で保存登記された。

(七) なお、右埋立にかかる民有地に接続していた官有堤塘敷は、米太郎が右埋立工事により自費で埋立地の外側に護岸を築造したので、同人は昭和一四年九月二三日右堤防の公用廃止及び土地払い下げの申請をして、昭和一六年九月三〇日その許可を得た。その堤塘敷の面積は二四二坪八二であり、現在の同町一〇番一〇宅地802.71平方メートルにあたる。

また、本件土地に地番が近接していた同区羽田一丁目一九一〇番、一九一一番、一九一二番一ないし七及び一九一三番の各土地は、羽田三丁目六二四番一の土地と共に、昭和二七年九月一七日耕地整備により大田区羽田三丁目一番となり、さらに昭和三三年九月一日町名変更で同区羽田旭町一〇番九の土地の一部となって現在に至っている。

(八) 以上の通り、本件土地が海没した事実はなく、少なくともその所有権の支配可能性及び経済的価値が失われたことはないので、本件土地は減失していない。

ところで、右のとおり、本件土地は本件第二土地として表示されている土地の一部であると認められるから、同一土地について重複した登記が存していたことになる。しかしながら、本件第二土地の表示の登記は所有者を大谷重工として登記したものであるところ、前記のとおり、本件第二土地の所有者は米太郎であり、同人が大谷重工に同土地を譲渡した事実はないから、本件第二土地の表示の登記は所有者を誤って表示した無効な登記であり、いわゆる二重登記の問題は生じない。

また、昭和四二年に本件第二土地の表示の登記がなされる前に本件土地の表示登記が既に存していたのであるから、仮に本件土地を含む米太郎所有地が大谷重工に譲渡されたとしても、既登記の本件土地については米太郎名義に保存登記をしてこれを大谷重工名義に移転登記手続をすべきものであって、売買対象地のうち未だ表示の登記がなされていなかった部分の土地のみが新たな表示登記の対象となったものと解すべきである。したがって、実体上無効な登記は登記の前後を問わず無効であるから、本件第二土地の登記のうち本件土地と重複する部分の登記は無効である。

そのうえ、一般に登記簿・台帳一元化完了後の二重登記の効力については、二重登記の解消方法は権利の登記の後始末の問題ではなく、表示の登記の解消の問題であるとされ、表示の登記の先後によってその優劣を定めるのが先例の態度である。したがって、本件土地と本件第二土地の各表示登記とでは、本件土地の登記が優先し、本件第二土地の登記は本件土地の重複する範囲において一部無効となり、職権抹消されるべきものである。

右のとおり、本件土地は現存し、抹消登記すべき事由もないのに、土地の存否あるいは登記の効力の優劣を誤り、本件土地の登記を抹消した処分には重大明白な瑕疵があるというべきであるから、本件登記処分は無効である。

よって、原告は被告に対し、主位的には本件登記処分の取消しを、右取消請求が出訴期間の点において適法であることを解除条件として、予備的に本件登記の無効確認を求める。

二  被告の本案前の主張

1  出訴期間の不遵守(主位的請求について)

(一) 原告が取消しを求める本件登記処分は昭和四六年三月一〇日になされたものであり、処分の日から既に一年以上を経過している。

(二) 不動産登記法一五七条ノ二は行政不服審査法(以下「行服法」という)一四条の適用を除外しているところ、原告は本件登記処分について昭和五六年七月一五日に審査請求しているので、行訴法一四条四項との関係が問題となる。同条項の趣旨は、処分等については異議申立て等の適法な不服審査手続で救済を求めているかぎり、その決着をまたないで、処分等を基準として出訴期間を定め、出訴を強要し、あるいはその期間経過により形式的確定力を生じせしめるのは、明らかに不合理であるから、不服審査の裁決があるまでは、その期間は進行せず、その裁決があったことを知った日または裁決の日から三箇月又は一年の期間を起算することにあるといわれている。つまり、行訴法一四条一項、三項所定の出訴期間内に審査請求をし、審査請求で救済されると信じて出訴しないでいたところ、審理に手間どって出訴期間経過後に審査請求が棄却された場合には、その段階で改めて裁判所による救済を求めようとしても、既に出訴期間を徒過しているとして、司法救済を拒否するのでは審査請求人に酷であるということが、行訴法一四条四項を設けた趣旨であると解されるのである。

そして、不動産登記法一五七条ノ二は行服法一四条の適用除外を規定しているものの、取消訴訟の出訴期間を規定した行訴法一四条の適用を除外する旨の規定は設けられていないから、右の立法趣旨に照らせば、行訴法一四条四項の規定を適用すべき適法な裁決があったというためには、その前提として同条一項、三項所定の出訴期間内に、適法な審査請求がなされていることが必要であると解すべきである。さもないと、出訴期間の経過により直ちに登記処分の取消しを求め得なくなった後においても、審査請求を経由することによって、何時でも右登記処分の取消訴訟を提起できることになって、極めて不合理な結果を招来することになる。

不動産登記法一五七条ノ二が、行服法一四条の適用を除外しながら、行訴法一四条の適用を除外していないのは、あくまで審査請求に関してのみ期間制限を設けないこととしたのであって、登記処分の取消訴訟については右のように解すべきことを当然の前提としているからであるというべきである。

(三) したがって、本件主位的請求にかかる訴えは出訴期間経過後になされたものであって、不適法である。

2  訴えの利益の欠如

原告には、以下に述べるとおり本件登記処分が取り消され、また無効確認がなされたとしても、原告にとって回復すべき権利ないし法律上の利益は何ら存しないから、本件各訴えは不適法である。

すなわち、仮に原告主張のように本件土地が本件第二土地に包摂されるとしても、本件第二土地は、土地埋立及び工場建設が完成した昭和一三年ころ、原告の先代米太郎から同人の経営する大谷重工に対して、売買ないし代物弁済、または贈与により譲渡されている(なお、売買代金額ないし代物弁済の基となる消費貸借の債権額は、右会社が右土地埋立て及び工場建設のために支出した費用相当額である。)。そして、これがさらに会社合併により合同製鉄株式会社への所有権移転登記も経由されているのであるから、本件第二土地の所有権移転は、これに包摂される本件土地の所有権移転をも当然に伴うものとみざるをえない。

そうすると、原告は本件土地について所有権を有するのではなく、本件土地の表示登記の抹消によりなんら権利ないし法律上の利益を侵害されるものではない。

三  本案前の主張に対する原告の反論

1  出訴期間の遵守

不動産登記法一五七条ノ二は適用除外を定めているから、登記官の処分に対する審査請求は処分の是正が法律上可能であり、かつ、その利益がある限り、行訴法一四条一項、三項の出訴期間経過後でも、いつでも審査請求ができるのであるから、右審査請求が棄却された場合に、これを不服として原処分の取消訴訟が許されないとすれば、行政機関が終審として裁判を行う結果となり、憲法七六条二項に違反する。

たしかに、不動産の登記に関する申請書等は保存期間が定められており、保存期間を経過して申請書等を廃棄した後では、審査請求に対する審査に必要な証拠書類の収集が困難になるし、長期間にわたって登記を放置し、突如として審査請求を申し立てるのは信義に反することになる。しかし、これは不動産登記法が審査請求期間制限を排除するのみで、他の手段との整合性を保たなかった立法上の不備によるものであって、このことをもって、原告に不利益に解釈すべき理由とはならない。

したがって、出訴期間の経過により直接登記官の処分の取消しを求めて出訴することができなくなったとしても、当該処分について審査請求をすれば、行訴法一四条四項によりこの審査請求について裁決があったことを知った日から改めて出訴期間が起算され、出訴の機会が確保されるものと解すべきである。

2  出訴期間徒過についての正当な理由

原告は、不動産登記法に審査請求期間の除外規定があるため、いつでも審査請求が可能であり、さらに審査請求に対する裁決あることを知った日から三ケ月以内に処分の取消しの訴えができるものと信じたものであり、これが学説上も通説的見解である。被告の主張する解釈は最近になって提唱されたもので、この点につき、これまで裁判例もなかったのであるから、たとえ出訴期間を徒過したとしても行訴法一四条三項但書の正当な理由がある。

3  訴えの利益

仮に本件土地が米太郎から大谷重工へ譲渡されたとしても、本件第二土地の表示登記は一部無効であり、本件土地については米太郎の相続人である原告らが大谷重工へ移転登記手続をすべきであって、土地所有権を実体上失っていても、右の移転登記手続をする義務を負担しているのであるから、原告は本件登記処分の取消し又は無効確認を求める利益を有するものである。

四  請求原因に対する認否

(主位的請求に対し)

請求原因1ないし3の事実は全て認める。

(予備的請求に対し)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の(一)の事実は認める。

同(二)の事実中、関係書類中に羽田一丁目一九一四番二及び同三の各土地に関する記述があることは認め、その余は争う。羽田一丁目一九一四番一及び三の土地は、いずれも登記簿は存在したものの(但し一九一四番二の登記簿は現存しない。)、右各土地の存在を示す公図その他が現存せず、したがってその位置は不明である。

同(三)の事実は知らない。

同(四)のうち本件土地が海没した事実はないとの点は否認し、その余の事実は知らない。

同(五)の事実中、埋立申請にかかる民有地が坂口平兵衛外一名からの買受地であることは知らず、その余の各事実は認める。

同(六)の事実は認める。

同(七)の事実は認める。但し、後段につき、耕地整理による合併換地は昭和二六三月二二日付けであり、同二八年五月一一日受付でその旨の登記がなされ、さらに同三四年一一月一二日受付で羽田旭町一〇番七及び同番八の各土地と合併登記がなされているものである。

同(八)の主張のうち、本件土地を大谷重工へ譲渡していないとの事実は否認し、その余は争う。

行政処分が無効であるというためには、当該行政処分に明白かつ重大な瑕疵が存在することを要するところ、本件登記処分当時、本件土地の具体的位置・形状については、公図その他これを特定するに足りる資料はなく、全くの不明であったのであるから、かかる事情のもとでなされた本件登記処分に重大かつ明白な瑕疵があったとはいえない。

五  被告の主張

1  本件土地の登記等の経緯

本件土地の表示は、もとは大田区羽田一丁目一九一四番一であり、昭和三三年八月一一日町名変更より大田区羽田五丁目一九一四番一となり、次いで昭和四二年九月一日町名変更により大田区羽田四丁目一九一四番一と表示変更された。また、この間、昭和三五年法律第一四号不動産登記法の一部を改正する法律(いわゆる台帳・登記簿一元化)の施行に伴い、昭和四〇年三月二三日から同月三一日までの間に、土地台帳をもとに登記用紙(表題部)が新設されたもので、本件土地の表示登記が成立したのは、台帳・登記簿一元化の施行に伴う登記用紙の改製及び新設作業の完了日である昭和四〇年三月三一日であり、これ以前に、本件土地に係る登記簿はない。

なお、いわゆる台帳・登記簿一元化の施行に際しては、一般に、各土地の現地調査を行うことなく、土地台帳の記載に基づいて自動的に登記用紙(表題部)が作成されていた。

本件土地にかかる現在の土地台帳は、大田区羽田附近を管轄する当時の東京財務局蒲田税務署が昭和二〇年の戦災で焼失したことに照らすと、区(都税事務局)備付けの土地台帳から移記して、昭和二四年六月(東京財務局が東京国税局に改称された時期)以前に再製されたものと考えられる。もっとも、焼失した蒲田税務署備付けの土地台帳はもちろん、本件土地台帳の基になったと考えられる区備付けの土地台帳(これは現存しないとのことである。)がいつ開設され、また本件土地台帳の記載内容以外にどのような記載がなされていたかは全く不明である。

ちなみに、本件土地については、本件登記の申請(東京法務局大森出張所昭和四六年三月一日受附第七九九九号土地表示抹消登記申請)の申請者の一人である大谷サトから大田税務事務所長宛に、昭和四五年中に三回に亘り、本件土地が不存在(昭和六年ころ津波により海没)で、大田区旭町一〇番一一号土地(宅地37634.87平方メートル、昭和四〇年八月五日登記用紙開設)に対するものと固定資産税等が重複課税されていることを理由に、その賦課処分取消申請がなされ、昭和四六年三月一日付けで、昭和四一年分に遡って固定資産税賦課処分が取り消され、以後課税されていない。

2  本件登記処分の手続

不動産の表示に関する登記のうち、本件登記のように、不動産の客観的現況を結果として登記簿上に公示するためのいわゆる報告的登記は、登記官が職権でもなしうるものであって(不動産登記法二五ノ二)、かかる表示の登記の申請義務(同法八一条ノ八第一項等)を数人が共同して負っている場合であっても、必ずしも右申請義務者全員が共同で申請する必要はなく、その一部の者からなされた申請も適法である。

したがって、共同相続人の一部の者からなされている本件登記の申請には手続上なんら違法はない。

3  本件土地附近の過去の状況等

(一) 本件土地附近と思料される地域の地図に表示された客観的状況の変遷

(1) 本件土地附近の海老取川と海との合流地域で、後の米太郎による埋立地域と思われる部分は、明治一四年測量の地図においては陸地として表示されていたが、大正六年測量の地図においては、右地域は海没して陸地ではなくなっている。

(2) 昭和七年発行の地図によると、海老取川と海の合流地域は、北面から東面にかけて堤が構築されており、海と陸地は堤によって判然と区別されていた。

また、堤の北面部分には、干潮時には陸地となる部分があったことが地図に示されている。

(3) 昭和一三年九月発行の地図によると、海老取川と海の合流地域に干潟の図式が描かれており、さらに昭和一五年八月発行の地図によると、右干潟部分を含めた地域について、埋立予定線が描かれている。

(4) 昭和二二年七月発行の地図によると、おおむね前記(3)の干潟部分は陸地として描かれ、その中に建物が存在した。これ以降に発行された地図の表示も右と同様であり、右建物は大谷重工羽田工場として記載されている。

(二) 米太郎による堤外地の埋立て

(1) 昭和一一年七月ころ、登記簿の表示上、本件土地附近となるはずの地区において、当時の米太郎所有地と国有地との境界査定がなされたが、右査定部分の形状は、前記(一)(2)(3)の各干潟部分、同(3)の埋立予想線に囲まれた部分、同(4)の陸地として描かれている部分の形状とおおむね一致する。

(2) また、米太郎から埋立願による海老取川堤外民有地埋立等工事は、右境界査定の通知書添付の官民有地境界査定図に基づいて施行されたものであり、右埋立地等が未登記であることを理由に、昭和三七年一一月、米太郎から東京都知事に対し、登記手続の依頼がなされている。なお、右依頼の理由書中には「昭和一一年……工事完了翌一二年六月羽田工場を建設した……」との記載がある。

(3) 米太郎が埋立てをするために官民境界の査定を受けた蒲田区糀谷四丁目一九〇六番ないし一九〇八番の三筆の土地については、蒲田税務署が昭和二〇年の戦災で焼失し、その後土地台帳が再製されていないため、土地台帳は現存していない。また、登記簿も不存在なので、その所在は不明といわざるをえないが、右埋立ての経緯に照らすと、現在の本件第二土地の範囲に合致するものと推測される。

(三) 堤内地の耕地整理

前記(一)(2)(3)の干潟及び埋立予定地に接続する堤内地では耕地整理事業が施行され、昭和二六年三月二二日耕地整理による換地処分の認可がなされている。

4  本件土地の所在の検討

(一) 本件土地の過去における所在については、次の三つの可能性が考えられる。

(1) 前記干潮界の内側ないし干潟(埋立により後に羽田旭町一〇番一一となった土地)の一部に存在した。

(2) 前記耕地整理のなされた堤内部分(後の羽田旭町一〇番九のあたりの土地)の一部に存在した。

(3) 右(1)、(2)以外に存在した。

(二) しかし、右(1)ないし(3)のいずれについても、その可能性を全面的に否定し得ないとしても、その可能性は乏しいといわざるを得ないのである。

まず、(1)の可能性については、古くは原野として陸地に存在していた本件土地が、大正六年以前に何らかの理由で海没したことが考えられるところ、大正六年九月末日ころ、まれにみる暴風雨及びこれに続く大津波により家屋が流失する等の大被害があったとの記録があり、この事実は、右の海没の可能性を裏付けるかにみえる。

しかし、大谷米太郎が埋立てをするために受けた官民有地の境界査定は、蒲田区糀谷四丁目一九〇六番ないし一九〇八番地の三筆の土地についてのみであり、本件土地が含まれていないことは明らかである。

そうであれば、本件土地が前記干潮界の内側ないし干潟部分の一部に存在した可能性については、これを否定するのが自然である。

(三) 次に、(2)の前記耕地整理のなされた堤内部分の一部に存在した可能性については、昭和二六年三月二二日耕地整理事業による換地処分がなされた羽田三丁目一番(後の羽田旭町一〇番九)の従前地には、羽田一丁目一九一〇番ないし一九一三番(枝番あり)の土地が含まれており、しかも従前地の面積合計が3485.21坪であるにもかかわらず換地の面積が4582.42坪となっていることに照らすと、右従前地に隣接する地番である本件土地が事実上換地の従前地に含まれていた可能性も考えられなくはない。

しかし、耕地整理事業の対象となった前記堤内地について、登記簿に記載された換地処分の従前地に本件土地が含まれていないことは明らかである。

したがって、本件土地が前記耕地整理のなされた堤内部分の一部に存在した可能性についてもこれを否定するのが相当である。

(四) 前記(1)、(2)以外の場所に存在した可能性については、これが海面下に存在したのか陸地部分に存在したのか、また、その位置や形状については全く不明であり、そうであれば、この可能性についても否定するのが相当というべきである。

5  本件土地の不存在

以上のとおり、本件土地は本件土地附近と思料される前記干潮界の内側ないし干潟部分(後の埋立地)にも、前記耕地整理のなされた堤内部分にも、それ以外の場所にも存在した可能性は極めて乏しいのであって、むしろその不存在が強く推認され、何らかの誤りによって、土地台帳へ登記されたものと考えられるのである。

仮に、右のような推認が無理であるとしても、前述したとおり、現時点においては、本件土地の所在は全く不明といわざるをえず、このような土地は、結局のところ観念的な存在でしかありえないから、土地の不存在と同視するのが相当である。

登記されている土地が不存在である場合の登記手続については、現行法上明文の規定は存在しないが、登記実務上、土地の滅失の場合に準じて土地の表示に関する登記として、土地の表示の登記の抹消をするものとしている(昭和三九年二月二一日民甲第三八四号通達、同年二月二四日民三発第一五〇号回答、昭和四二年四月一四日民甲第九八〇号回答)。そして、登記されている土地が不存在である場合とは、登記されている土地が始めから存在しないにもかかわらず、あたかも存在するかのように誤って登記されているものをいうのであるが、登記されている土地が、現地について確認することができないもの、すなわち、所在不明のものについても同様に取り扱うものとされている(国土調査法第二条第一項第三号の地籍調査に関する「地籍調査作業規定準則」(昭和三二年一〇月二四日総理府令七一)第三五条第二項)。

したがって、土地の不存在を原因として、本件土地の表示登記を抹消した被告の本件登記処分は適法である。

6  本件土地が本件第二土地に包摂されていると仮定した場合の本件土地登記処分の適法性

(一) 本件第二土地は米太郎が埋立てた地域であり、埋立て当時の所有者は米太郎であって、埋立工事完了後大谷重工へその所有権が移転されている。

(二) 本件第二土地の表示の登記については、申請書類が保存期間経過のため廃棄されているので定かではないが、米太郎らの願い出によって、東京都知事が嘱託したものであるか、又は大谷重工業株式会社からの申請によるものであるかのいずれかである。

(三) 以上のことを前提として、仮に本件土地が本件第二土地に包摂されているとするならば、本件第二土地の表示の登記をしたことによって、本件土地と重複する限度において二重登記となったことになる。

ところで、二重登記の場合には、原則としては後から設けられた登記用紙を閉鎖すべきであるが、本件においては、先に設けられた登記用紙は、表題部登記用紙つまり当該土地の物理的な現況を把握する登記のみであるところ、実体上は、米太郎から大谷重工業株式会社に所有権が移転されている。そして、本件第二土地にあっては、既に登記用紙に大谷重工業株式会社の所有権保存登記(現在の所有者は、会社合併により合同製鉄株式会社となっている。)がされ、さらに抵当権設定等により、第三者の権利の目的ともされたこともあるから、登記簿の機能からいって、権利に関する登記がなされ、かつ、その登記が実体の権利関係とも符号している方の登記用紙を存置し、所有権保存登記もなされていない方の登記用紙を閉鎖するのが妥当である。

(四) ちなみに、二重登記の場合の取扱いについて、①前になされた登記には所有権の保存登記、後になされた登記には所有権移転登記・抵当権設定登記その他の権利の登記がなされている場合において、所有権保存登記名義人が同一の場合には、便宜上前の登記を抹消してよいとされ(昭和三九年・二・二一民甲三八四局長通達・先例集追Ⅳ一二。)、また、②二重登記における登記の優劣は、現在登記名義人が相違しているが、経過上保存登記名義人が同一の場合と同視できるときは、便宜上前になされた表示の登記を抹消することができるとされている(昭和四四・四・二一民甲八六八局長回答・先例集追Ⅴ九二)。

本件土地については、保存登記もなされておらず、単に表示登記が存在するのみである。また、第二土地はもと大谷米太郎所有であったものが大谷重工業株式会社に所有権移転されたものであり、本件土地も大谷米太郎所有であったものである。

したがって、前項①、②の二重登記に関する取扱いに照らしてみても、登記官は本件土地の表示登記を職権で抹消(不動産登記法二五ノ二)して差し支えないのである。

7  本件土地が堤内部分に存した場合の本件登記処分の適法性

仮に本件土地が耕地整理の行われた堤内部分に存したとした場合、昭和二六年三月二二日耕地整理による換地処分が認可され、昭和二八年五月一一日その登記がなされているところ、当該耕地整理施行地区内の土地所有者米太郎についての換地計画は合併型換地としてなされているから、本件土地の表示登記は換地処分により従前地として当然閉鎖されるべきであった。

しかるに、その閉鎖手続がなんらかの理由で遺漏され、昭和三五年の台帳・登記一元化に伴い、土地台帳をもとに登記用紙(表題部)が新設されたものと考えられる。

そうすると、本件土地の表示登記は換地処分の従前地として閉鎖されるべきであるから、登記官は職権で抹消して差し支えないこととなる。

六  被告の主張に対す認否

1  被告の主張1のうち(一)の事実は認め、(二)の各事実は知らない。

同(三)の事実については認否がない。

2  同2の主張は争う。

土地を不存在としてその登記抹消を申請する行為は処分行為であって、所有名義人の相続人全員が共同して申請しなければ有効な申請とはならない。

3  同3(一)の各事実は認める。

同(二)のうち、(1)(2)の事実は認め、(3)は、本件第二土地が糀谷四丁目の土地三筆に合致するとの主張を争う。右三筆と本件土地を合わせた範囲が現在の本件第二土地にあたる。

同(三)の事実は認める。

4  同4ないし7の主張は争う。

本件土地の所在及び登記の効力に関する原告の主張は予備的請求原因に記載のとおりであり、本件土地は第二土地の一部に存在する。

第三  証拠〈省略〉

理由

第一本案前の主張に対する判断

一出訴期間について

1  被告が本件取消訴訟の却下を求める理由は、不動産登記法一五七条ノ二は、行服法一四条の適用を除外すると定めながら、行訴法一四条の適用を除外していないこと、行訴法一四条四項は出訴期間について特別な定めをしたものであること、したがって、審査請求に対する裁決から起算すれば出訴期間内に提起されたものであっても、その審査請求が本件登記処分の日から一年を経過してなされたものである以上、本件取消訴訟は、結局、不適法になる、というものである。

そこで、本件取消訴訟提起までの経過をみると、本件の審査請求は、本件登記処分から一年を遙かに超えた昭和五三年七月一五日になされたものであり、これに対する同年一一月六日付け棄却裁決は、同月一〇日ころ原告に送達されたことは当事者間に争いがない。この棄却裁決の取消しの訴え(昭和五七年(行ウ)第八号)が当庁に提起されたのは、右送達日から三箇月以内である昭和五七年二月四日であり、同年三月一六日に行訴法一九条一項による訴えの追加的併合として、本件取消訴訟が提起されたことは本件訴訟記録上明らかである。

そして、登記官の処分に対する審査請求については期間の制限がないことは、被告主張のとおりであり(不動産登記法一五七条ノ二で行服法一四条の適用を除外)また、本件登記処分の取消しを求める訴訟は、審査請求を前置しないで直ちに出訴することができる。そうすると、このような取消訴訟に行訴法一四条四項の適用を肯定する見解は、同条一項及び三項の本来の出訴期間を徒過した後でも、審査請求さえ経由すれば、いつでも出訴することを可能にすることになって、出訴期間の制限は事実上ないも同然となり、一見不合理なように考えられないでもない。

2  しかし、一般の行政処分について出訴期間や審査請求期間が設けて、不服申立を制限する理由は、その処分について、早期に手続的、形式的な確定(不可争性)をもたらし、処分の効力を安定させるべきであるとの要請に求められるが、本件のような登記官の処分にあっては、登記としての性質上、登記制度の目的の実現という要請、すなわち登記簿の記載をできるだけ実体関係に符号させ、これを正確に公示することが、処分の効力の安定に優先されるべきである。実質的にみても、登記官の処分としてなされた本件のような登記も、公信力がないことは一般の登記と同様であるから、もし本件登記が実体関係に符合しないものであるならば、これに不可争力を付与して、登記簿上存続させるのを妥当とするだけの理由はないといわなければならない。手続的にも、利害関係人は登記官の処分を必ずしも早期に知ることができるとは限らない。

すなわち、行政処分の可及的速やかな確定の要請は、右の登記制度の目的を阻害する限度では後退せざるをえないものであって、違法な処分がなされた場合には、処分の是正が法律上可能であり、かつ、これを求める利益があるかぎり、その機会を利害関係人に残しておくべきである。不動産登記法一五七条ノ二が行服法一四条の適用を除外した理由もここにあり、このような立法に際しての配慮は、取消訴訟の出訴期間の解釈においても全くそのまま妥当するものである。そうすると、不動産登記法が行訴法一四条(とくに同条四項)の適用を除外する旨の規定を設けなかった事実は、当然に同条四項の適用があることを前提としたものと解釈すべきであり、被告主張のように同条一項、三項と四項とを切り離し、前者のみ適用があり、後者は適用されないとする解釈はとることができない。

右に判断したとおりであるから、本件取消訴訟は、行訴法二〇条、一九条一項前段、一四条四項により、出訴期間内に提起されたことになり、被告のこの点に関する主張は理由がない。

二訴えの利益

1  原告が米太郎の相続人の一人であること、米太郎は本件土地の登記簿の表題部に所有者として記載されていたことは、いずれも当事者間に争いがない。

被告は、仮に本件土地が原告主張の位置に存在するとしても、同土地は米太郎から第三者に譲渡されているから、原告には本件登記処分の取消しによって回復される利益はないことになり、本件取消訴訟は不適法であると主張する。

2  しかし、登記官の登記処分によって不利益を受けた者であって、その処分の取消しによって登記が是正されるときは、登記簿の上で、その利益が回復される地位にある者は、その登記処分の取消し訴訟において原告適格を有するものである。

これを本件土地の表示登記の抹消処分についていえば、被告が仮定するように本件土地が実在するものであれば、原告は、抹消された本件土地の表示登記が回復されることによって、米太郎の相続人として、同土地について所有権保存登記を申請できる地位にあるものである(不動産登記法一〇〇条一項)。そして、所有権の登記の申請は現在の所有者に限られると解釈するべきでないことは、中間者の移転登記請求の場合と同様である(ちなみに〈証拠〉によれば、本件土地の登記簿は表示の登記のみであることは明らかである。)。それゆえ、原告は本件取消訴訟について、訴えの利益があり、原告適格を有するものであるから、被告の主張は失当である。

第二本案の判断(主位的請求)

一請求原因事実

請求原因事実は当事者間に争いがない。

二登記申請の瑕疵について

原告は、本件表示登記の抹消登記が米太郎(表題部所有者)の相続人の一部の者の申請に基づいて行われたことを違法と主張する。

しかし、不動産の表示登記の抹消登記は、後述するように登記官が職権でもすることができるものであり、その趣旨とするところは、不動産の物理的現況を登記簿上に明確にすることにあって、不動産の分割や合併のような形成的処分の登記ではないし、もちろん権利の登記でもない。いわば、その登記申請行為の実質は、物理的現況の報告的なものであり、あえていえば、共有における保存行為(民法二五二条但書)に類するものである。そうであれば、仮に申請になんらかの手続的な瑕疵があったとしても、なされた表示の抹消登記が実体(物理的現況)に合致しているかぎり、この登記官の処分には取消原因となるような違法はないというべきであり、原告の右主張はそれ自体失当である。

のみならず、不動産登記法は、土地の滅失登記については、「表題部ニ記載シタル所有者」に一箇月以内に登記申請をする義務を負わせ(不動産登記法八一条ノ八)、その過怠に対して過料という制裁規定を置いて(不動産登記法一五九条ノ二)、登記の速やかな実現の担保としている。また、不動産の表示に関する登記は、登記官が職権でもすることができ(不動産登記法二五条ノ二)、申請に基づく場合でも、必要な限り職権で申請に係る事項を調査して、受否を審査しなければならない(不動産登記法五〇条、四九条一〇号)。

これらの点からみれば、表示登記の抹消申請は、表題部所有者もしくはその相続人が全員一致してしなければならないと解することは、相続人の右登記申請義務の履行を困難にすることにつながり、なるべく速やかに実体(物理的現況)と合致した登記状態を作出しようとする不動産登記法の要請に反する結果をもたらすから、採用できない見解といわざるをえない。すなわち、表示登記の抹消登記の申請は、表題部所有者の相続人の一人が、単独ですることもできると解釈するべきであり、この点で本件登記処分には違法はない。

三本件土地の所在

不存在の土地の表示登記の抹消も不動産登記法八八条の滅失登記によるべきものであるから、次に、本件登記処分の適法性判断の基礎となる本件土地の所在について検討する。

1  被告主張の1(一)、3(一)、(二)(1)(2)、(三)の各事実は当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実を前提として、これに〈証拠〉を総合すると、以下のとおり認められ、この認定に反する証拠はない。

(一) 本件土地の登記・登録の経緯等

(1) 太平洋戦争前から土地台帳には本件土地の記載(登録)があったが、不動産登記簿には登記がなかった。蒲田税務署備え付けの右土地台帳及び付属地図は昭和二〇年の戦災で焼失し、戦後に右台帳は再製されたが、当時の付属地図類は再製されず、焼失前の同地図の写しなどその図面の内容を把握できる資料も入手できない。

なお、本件土地と枝番のみ異にする一九一四番二及び同番三の各土地も、土地台帳に登録されていた。そのうち同番二は拓植咲五郎の所有地で、戦後の羽田地区の耕地整理組合による耕地整理事業の施行区域内に含まれていたが、後記(3)の東京都の調査によっても、本件土地がこの耕地整理事業に対象となっていたとか、その施行区域に含まれていた形跡はなかった。また、同番三の土地は、内務省所有名義で不動産登記もされているにもかかわらず、その所在位置を示す資料はなく、現在を所在位置は全く不明である。

(2) 関係土地台帳、登記簿の上では、本件土地の表示は、もと大田区羽田一丁目一九一四番一であったが、昭和三三年八月の町名変更により羽田五丁目一九一四番となり、昭和四二年九月に再度の町名変更があって羽田四丁目一九一四番一となったと記載されている。

そして、いわゆる台帳・登記簿一元化の制度の施行に伴い、昭和四〇年三月二三日から同月三一日までの間に、土地台帳をもとに、これを機械的に移記した登記用紙(表題部)が新設されることになり、その作業完了日である同月三一日までには本件土地の表示登記が出現した。

(3) なお、本件土地の固定資産税については、昭和四五年七月から九月にかけて大谷サトから、同土地が昭和六年ころ津波で水没し(海面と化し)たものであり、その後に大谷重工業株式会社が同海面を埋立てて取得した旭町一〇番地一一(本件第二土地である。)は別に課税されているので、重複課税であるとして、その賦課処分の取消申請があった。これについて調査した東京都は、本件第二土地と重複課税になっているとの理由で、昭和四六年三月一日付で昭和四一年分以降の本件土地の固定資産税賦課処分を取り消した。したがって、同年分以後は課税がない。

(二) 本件土地付近と思われる地域の過去の状況等

(1) 本件土地の表示からみて、これが過去に実在したと仮定すると、その場所はおよそ大田区内で、同区を南から北へ向かって流れる海老取川と東西に長い増田圦堀(その東側は海に面する。)とに囲まれた範囲の中であり、それも海老取川と増田圦堀とが合流している地点のほぼ南岸地域である可能性が大きい。

そこで、明治一四年測量の地図をみると、これには、右合流点から川がさらに北側へ長く続いた後に海へ注ぎ、その川の両岸には田畑及び段差がある砂州状の陸地もしくは干潟とおぼしいもの(判然とは読み取れない。)が広がっている姿及び右合流部の南側にも砂州状の土地が弓形に存在する姿が描かれている。これが、大正六年測量の地図になると、右の砂州状の部分は、全体的にやや形を変えて、いずれも干潮界の内側、すなわち干潟の部分として表示されている。なお、同図面では、前記の合流部の南側の干潟の形にさほどの変化はない。

(2) ついで昭和七年発行の地図には、右合流部の南側地域のうち北面から東面にかけて、L字型に窪んだ形の堤塘が築造されている姿が描かれているが、干潟は、その延長上に、右の窪みを埋めて半円状に合流部への突き出た形に記載されていて、前記(1)の各地図上の干潟の所在位置と基本的に大きな相違はない。しかし、海との境は右の合流部のほぼ間近であり、かつて合流部から北へ伸びていた川は、その川としての形を失い、その両側及び海へと広がっていた干潟は、範囲を著しく狭められている。

なお、当時の糀谷四丁目と羽田一丁目との町界は、右堤塘に続く干潟の部分を東西方向に延びており、羽田一丁目と四丁目との境界は右干潟の部分から南南東方向へと延びている。

(3) さらに昭和一五年八月発行の地図には、右干潟部分を含む一帯の地域に埋立予定線の記載があり、昭和二二年発行以後の各地図では、この埋立予定線内は陸地として描かれていて、そこに大谷重工の工場建物が記載されている。

(4) 以上の各地図のどこにも、羽田一丁目一九一四番という地番を持った土地は全く記載されていない。

(三) 米太郎による堤外地の埋立て

(1) 米太郎は、昭和一一年ころ、当時同人が所有していた羽田一丁目一三五一番地先堤外地及び官有堤塘敷斜面を埋立てることを計画し、自己所有地と国有地との境界査定を求め、同年七月二二日その査定通知を受けた。これによると、査定部分の土地の形状は、ほぼ前記(二)(2)の干潟部分を含む同(3)の埋立て予定線の範囲と一致する。

当時の羽田一丁目一三五一番地(米太郎所有地)は、満潮時にはほとんど海面となり、干潮時には地盤が約三〇センチメートルないし約一五〇センチメートル露出する状態であり、その面積は約1万1384.55坪、右の官有堤塘敷斜面の面積は約322.222坪であった。

なお、右の境界査定通知書では、国有地と接する米太郎所有地は蒲田区糀谷四丁目一九〇六番地ないし一九〇八番地と表示されている。

(2) 米太郎は、昭和一一年一〇月七日に右埋立計画に基づく埋立願を東京府知事に提出し、昭和一二年五月一七日付け許可を得て、そのころ、堤外地埋立並びに堤塘敷盛土及び護岸工事等の工事を施行し、その造成地上に大谷重工の工場を建設した。

(3) 前記(1)の官有堤塘敷は、右埋立地の周囲に護岸工事が施されたことにより不要となったので、昭和一七年ころ米太郎に払い下げられた。この払い下げ地は本件第二土地の南東隅に接続する羽田旭町一〇番一〇宅地802.71平方メートルに当たる。

(4) 前記(2)の米太郎所有の埋立地については、右(3)の土地と共に昭和三七年一一月九日付けで、米太郎及び大谷重工から都知事宛てに、これを大谷重工名義に登記するようにとの表示登記手続の協力要請の上申書が提出された。その後、前記(2)の米太郎所有の埋立地は、昭和四〇年八月五日に大田区羽田旭町一〇番一一地積37634.87平方メートル、所有名義人大谷重工として表示登記がされた(本件第二土地である。)。

(四) 堤内地の耕地整理等

(1) 本件第二土地及び周辺一帯の土地(右一〇番一〇の土地を除く。)、すなわち、前記(二)(2)の海老取川の増田圦堀によって囲まれた堤内地では、昭和二六年三月二二日の耕地整理事業に基づく換地処分の認可があった。しかし、本件土地については、第三耕地整理組合作成の換地処分調書にも事業施行の記載がなく、換地処分後の各施行土地の登記簿にも従前土地として本件土地を記載したものはない(本件土地の地番からみて、これがもし耕地整理事業の対象になっていたとすると、右組合の所管となる可能性がもっとも高い。)。

(2) ちなみに、右耕地整理事業の施行地域内にある換地後の羽田三丁目一番(後の羽田一〇番九である。)の土地は、堤塘敷を挾んで本件第二土地の南側に存在するが、同土地の従前(換地処分前)土地は羽田一丁目一九一〇番、一九一一番、一九一二番一ないし七(後に羽田三丁目となった。)、羽田三丁目六二四番ノ一及び羽田一丁目一九一三番(未登記)であり、換地当時の所有者は米太郎であった。これらは昭和三〇年五月三〇日に米太郎から大谷重工に売買を原因として移転登記がなされている。

なお、本件第二土地と堤塘を挾んで接続するその他の耕地整理事業施行土地も、昭和三〇年代には全て大谷重工の所有に帰している。

3  以上の事実を前提にして、本件土地の所在を検討する。

まず、本件土地について言及した文書には、前掲甲第八号証がある(これは、「大谷重工業の羽田工場敷地の埋立てに関する経緯」と題する文書で、大谷重工が昭和三〇年代に作成したものと推認される。)。

これには、大谷重工羽田工場敷地であって海老取川と増田圦堀に面する分は、昔、津波のため陥没した海面であって、昭和一一年ころ米太郎が当時の所有者坂口平兵衛から買受けたこと、当時の地番及び地積は、

(1) 羽田糀谷一九〇六番 原野 四反歩

(2) 同   一九〇七番 同 六反歩

(3) 同   一九〇八番 同 三反歩

(4) 羽田一丁目一九一四番一 同 八反二畝一六歩

であったが、当時から右各土地の地番や図面が区々で、明確さを欠いていたので、米太郎が買受け後東京府河川課に測量してもらい、作成された図面によると、実測面積は11869.94坪であったこと、昭和一一年の埋立申請に基づく埋立ては、右地域を対象とするものであったこと等の記載がある。

そして、昭和一一年ころ、地番の点は別として、米太郎が干潟部分の土地を取得したことは、右一連の経緯から推認できるけれでも、右取得土地に本件土地が含まれていた可能性は少ないものといわざるをえない。すなわち、当時すでに右土地等の地番や図面が区々であった事実は、取引当事者も認識していたところ、右(4)の地番の買受土地の所在については、右文書以外に直接これを裏付けるなんらの証拠もなく、かえって、前記2(三)(1)のとおり、昭和一一年に米太郎が官民境界の査定を受けた際は、査定対象地の地番は蒲田区糀谷四丁目一九〇六番ないし一九〇八番と表示されていて、本件土地を示す地番は含まれていなかったという事実が認められるからである(むしろ、この査定通知からみれば、本件土地は右干潟部分には存在していなかったことになる。もっとも、本件土地は右各土地に囲まれた内側にあったとすれば、これが右境界査定の対象地として表示されないこともありえないではないが、本件土地がそのように官有水面と接していないところに所在したことを示す証拠はない。)。

また、前述のとおり、本件土地と枝番のみに異なる一九一四番二の土地は、堤内地の耕地整理事業施行地域内に存在した事実、本件土地と地番上近接する一九一二番一ないし七及び一九一三番の各土地も、もと米太郎の所有地であり、いずれも右施行地域内に存在した事実、それにもかかわらず、本件土地のみは右施行対象土地となった形跡が全くないこと等の事実に照らすと、本件土地が土地台帳に米太郎名義で登録されていた事実のみから、直ちに同土地が前記埋立予定地である干潟部分に存在したものと推認することもできない。まして、その所在位置を旧干潟上で具体的に特定することは、とうてい不可能なことは明白である。

したがって、前掲甲第八号証から本件土地が本件第二土地に包含されているものと認めることはできない。

なお、乙第二二号証(大谷サト作成名義の説明書である。)では、本件土地が本件第二土地に含まれることを前提に、「種々聞き込み調査の結果」として、本件土地の位置を図示しているが、その所在位置自体が図面として不正確であるだけでなく、その調査先、調査資料その他の情報入手経路の記載もなく、これを直ちに信用することはできない。

そして、他に本件土地が右埋立地内に存在したことを証明できる資料はなく、まして、その具体的な位置を特定できる証拠はない。

4  次に、本件土地が右以外の場所に存在すると仮定すると、それは必然的に堤内地ということになる。しかし、埋立地に隣接する堤内地一帯は、前述のとおり耕地整理事業の施行区域であるところ、その第三耕地整理組合作成の換地調書及び換地処分後の各土地の従前地の記載にも、本件土地は現れていない。したがって、本件土地が右施行区域内にあったと認めることはできない。

なお、前述したとおり、近接する地番が施行区域内にある事実や、現在の旭町一〇番九の従前土地に当たる羽田一丁目一九一三番の土地が未登記であった事実はあるが、これらの事実からさらに、本件土地が右土地の一部であると誤認されて耕地整理事業が施行されたことを窺わせる証拠も、もとよりない。

5  本件審査裁決では、昭和六年ころ本件土地が海没したと認定している。しかし、同裁決によっても本件土地の所在は明確にされていないし、本件全証拠によってもやはり明らかにならないことはすでに判断したとおりであるから、その所在位置に基づいて、現在時点での海没の有無を判断することはできない。むしろ、前述のとおり、地番の表示から推せば、本件土地付近であるはずの干潟及び堤塘並びに堤内地全体の範囲は、右時点の前後を通じてさほどの変化がない。そして、満潮時に海水で覆われる地表であるとの一事のみで、その土地に対する排他的総括支配権の行使が不可能になるものでもないから、これを滅失と評価するべきではない。

結局、昭和六年に本件土地が海没したものと認めるに足りる証拠もないといわざるをえない。

6  以上のとおりであって、本件土地と枝番のみ異なる土地が耕地整理事業の施行区域内にあったこと、本件土地が土地台帳に登録されていたことなどから、過去のどこかの時点では、右施行区域かその近傍に存在した可能性は、一応否定できないけれども、そのおおよその所在位置すら不明であり、まして具体的所在位置の特定に至っては皆目不明である。そして、弁論の全趣旨によれば、本件で提出された各証拠以外に、右の点を明らかにする資料が発見されることも、ほとんど期待できないといわざるをえない。

四本件登記処分の適法性

1  現行不動産登記法の解釈として、登記されている土地が不存在である場合の登記手続は、土地の滅失の場合に準じて、その表示登記を抹消するべきである。

2  そして、本件土地のように、現存する資料を駆使しても、その所在を確定することが不可能なときは、これを権利の客体として取り扱うことも不可能であって、登記事項たりえないものであるから(不動産登記法四九条一〇号。なお同条八号、八〇条二項参照)、不存在と同視して、その表示登記を抹消することができるものと解釈するべきである。

してみると、本件登記処分は適法である。

3  なお、本件土地が本件第二土地と同一であり、したがって、二重登記されていたものと仮定しても、本件登記処分は適法である。

すなわち、前述したように、本件第二土地の周辺の土地が全部大谷重工の所有となった(米太郎から大谷重工に売買による移転登記がされている土地もある。)事実がある。これに加えて〈証拠〉を総合すると、譲渡の時期及び原因は詳らかではないものの、米太郎は昭和三七年まで本件第二土地を大谷重工に譲渡し、同年ころには、大谷重工名義で登記できるように尽力した(本件第二土地の表示登記の申請も米太郎の上申を添えてされた。)ことは明らかである。さらに〈証拠〉によれば、本件第二土地にはすでに所有権保存登記を始めとする権利の登記があることが認められる。そうすると、本件第二土地の表示登記も本件土地の所有者米太郎の特定承継人の申請に基づくものであり、実体にも符号するものであるところ、これに基づいて権利の登記までなされているのであるから、二重登記の他方である本件登記(権利の登記はない。)を抹消して、その登記簿を閉鎖するのが相当な処置だからである。

第三結論

以上のとおり、原告の本訴請求原因は理由がないから、これを棄却するべきものである(予備的請求は、主位的請求原因にかかる訴えが適法であることを解除条件とするものであるから、判断を要しないし、その理由がないことも主位的請求原因の判断から自明である。)。

よって、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八七条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山本和敏 裁判官塚本伊平、同大島隆明は転補のため署名捺印できない。裁判長裁判官山本和敏)

別紙物件目録

所在 東京都大田区羽田四丁目

地番 一九一四番

地目 原野

地積 八一八五平方メートル

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